治すこと説明すること生きていること(医心生
2019年9月29日 エッセイ今日もこん詰めてしまった、明日の自分と担当に申し訳ない。
ただ、この時間まで考え事をしてたどり着いたことがあってそれは自分の認知や行動はどこから来ることへの一定の理解と課題だった。
自分にどこか認知のズレがあるのではないかと疑ってみたけれど、それは自分の人生の積み重ねであって、それ自体は普遍的なもので善悪はなかった。メサイア、境界性パーソナリティ自己愛性などとゆらぎを持ちつつ強迫性パーソナリティにたどり着いた。今日の精神医学と心理学で定義されるパーソナリティは遺伝と環境の両輪から作られるものとみなされていて、本人または本人と環境が苦しむのであれば病気としてパーソナリティを捉える。一連の流れから対人関係療法について、ツイッターのつぶやきを見かけてIPTは医学モデルで完璧主義などを治療対象とするなどと述べられていた。
私はごく普通の一般人として悪いものは直したほうがいいという医学モデルを持って心理系大学に入り心理モデルを得て、専門から生活者(福祉)モデルに触れてきた。なお大学課程のなかでV.E.フランクルに触れて心理還元的な説明は人間を矮小化してしまうため好きではない。
少し話は脱線するけれど、とある臨床心理士に「きみは包括的にものを見れる人ですね」と初見感想を聞いたときは嬉しかったし誇らしかった。病院実習などで雷を落とされた甲斐がある。
さて、私は自分の型や持ち物を俯瞰して吟味することができるまでになった。そして話によるとIPTは完璧主義を治療可能な対象であることを知った。その上でどうして完璧主義になっていったかという本題と課題が登場する。自分の認知や行動に多大な影響を与えているであろう愛着スタイルがなんであるのか特定すること。
おそらく、とらわれ型の愛着スタイルではないかと考えてみて、色んな心理的な説明がつくのではと期待している。
余談として人生が困難なときの人は技術としてボディイメージの肩が斜め後方に浮いている。反対に不安が込み上げてくるときは2歩前に分身がいるから追いかけないと捕まえられない、なので焦って前にでる。
建設的に自分を生活の中で愛して治療と療養することはすごく大変で意義あることだと思う。そして同時に本を読んでもらいたかったと率直に述べます。
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