わたしの、領分をみてきた⑶
2017年6月14日 読書・映画・芸術療育のクリニックに次から次へと当事者とその家族が相談にやってくる。
当事者のこども達(岡村いずみ)がおもちゃでずっと遊んでいる中、家族は心理士の萩野に不安から詰め寄る。「この子は治るんですか?」と。一方萩野は「長い目で見ていきましょう」と応じる。ここに、家族と専門家の立場(領分)の違いが現れてくる。この場面のこどもの無邪気さと深刻な顔で相談を持ちかける母親(家族)の対比は残酷だ。これが毎日のように繰り返されている光景かと思うと謝りたくなった。
また一般的に家族は発達障害や心理学の観点からこどもを見ていない。情報も知識も断片的であいまい。それに対して心理士は専門的に程度こそあれど知っている。この目の前のこどもはどのような成長や発達を見せていくのかという予想と予測の見立てに大きな違いがある。家族にとって発達障害のこどもが生まれたときの不安は、ある種死の布告に近いものがある。前もって学んだり情報を持っていれば、不安は軽減される。
(そして村上は萩野を見ながら....援助家は家族の相談に乗りながらも、出来ることとできないことを感じている。家族ではない心理士だから言える立場と、全責任を負わなくてもいい安堵感。けれど、当事者と変わってあげられないメサイアコンプレックスを感じた)
両親がクリニックにやってくるが、積極的に母親が相談を持ちかけるけれど、父親(室田渓人)は妻に任せっきりで腕を組んだままだ。分からないことは妻に任せるのは、どこにでも見られることだとおもった。しかし、何度目かのクリニックの訪問のときに萩野に激昂する!
「聞いていれば勝手にうちのこどもにgbs;ろちういえあえrw:flmkvgんbjhぃおsp:m_」勢いがあまり咳き込み、顔を歪ませ、こどもの手を強く握ってクリニックを出ていく。残された萩野は落ち込む。
(ここのシーン激昂して咳き込むところ大変だったんだろうなと思った。)
場面が変わり、別の家族(シングルマザー)が療育に関わっている男(柴田淳)連れてきた。
「ここのクリニックのやり方は最新じゃない」「私なら彼(こども)を治せる」と熱弁を振るう。オキシトシンで治せるんだと。
(オキシトシンは絆ホルモンと呼ばれていて、脳の認知活動と社会性に関与していると呼ばれているホルモン。日本では認可されていないので、手に入れるには個人で輸入するしかなく、また効果も一定じゃない。あと恋愛で絆ホルモンと呼ばれるけれど、村上は境界線ホルモンと呼びます。敵と味方を識別するから)
うあぁこの男、ナルシズムの権化でメサイアコンプレックスだぁ!!!俳優(柴田淳)さん魅せる!全盛期のミッチーか!!と思いました。同時に、援助家は強い気持ちを持って対人援助に取り組んでいることを確認しました。その陰には満たされなかった情緒や生育歴や、自ら満たしても満たされたと感じられない(愛を感じる能力が壊れて)ジレンマに苦しんで、自分を助けることを恐れて忘れてしまい、他人を追い立てるように助けなければならない、他人をかわいそうな人に仕立て上げ、更に自分しか"あなた"を助けられるのだと錯覚しメサイアコンプレックスになっていく。その光景を見ているかのようでした。
当事者のこども達(岡村いずみ)がおもちゃでずっと遊んでいる中、家族は心理士の萩野に不安から詰め寄る。「この子は治るんですか?」と。一方萩野は「長い目で見ていきましょう」と応じる。ここに、家族と専門家の立場(領分)の違いが現れてくる。この場面のこどもの無邪気さと深刻な顔で相談を持ちかける母親(家族)の対比は残酷だ。これが毎日のように繰り返されている光景かと思うと謝りたくなった。
また一般的に家族は発達障害や心理学の観点からこどもを見ていない。情報も知識も断片的であいまい。それに対して心理士は専門的に程度こそあれど知っている。この目の前のこどもはどのような成長や発達を見せていくのかという予想と予測の見立てに大きな違いがある。家族にとって発達障害のこどもが生まれたときの不安は、ある種死の布告に近いものがある。前もって学んだり情報を持っていれば、不安は軽減される。
(そして村上は萩野を見ながら....援助家は家族の相談に乗りながらも、出来ることとできないことを感じている。家族ではない心理士だから言える立場と、全責任を負わなくてもいい安堵感。けれど、当事者と変わってあげられないメサイアコンプレックスを感じた)
両親がクリニックにやってくるが、積極的に母親が相談を持ちかけるけれど、父親(室田渓人)は妻に任せっきりで腕を組んだままだ。分からないことは妻に任せるのは、どこにでも見られることだとおもった。しかし、何度目かのクリニックの訪問のときに萩野に激昂する!
「聞いていれば勝手にうちのこどもにgbs;ろちういえあえrw:flmkvgんbjhぃおsp:m_」勢いがあまり咳き込み、顔を歪ませ、こどもの手を強く握ってクリニックを出ていく。残された萩野は落ち込む。
(ここのシーン激昂して咳き込むところ大変だったんだろうなと思った。)
場面が変わり、別の家族(シングルマザー)が療育に関わっている男(柴田淳)連れてきた。
「ここのクリニックのやり方は最新じゃない」「私なら彼(こども)を治せる」と熱弁を振るう。オキシトシンで治せるんだと。
(オキシトシンは絆ホルモンと呼ばれていて、脳の認知活動と社会性に関与していると呼ばれているホルモン。日本では認可されていないので、手に入れるには個人で輸入するしかなく、また効果も一定じゃない。あと恋愛で絆ホルモンと呼ばれるけれど、村上は境界線ホルモンと呼びます。敵と味方を識別するから)
うあぁこの男、ナルシズムの権化でメサイアコンプレックスだぁ!!!俳優(柴田淳)さん魅せる!全盛期のミッチーか!!と思いました。同時に、援助家は強い気持ちを持って対人援助に取り組んでいることを確認しました。その陰には満たされなかった情緒や生育歴や、自ら満たしても満たされたと感じられない(愛を感じる能力が壊れて)ジレンマに苦しんで、自分を助けることを恐れて忘れてしまい、他人を追い立てるように助けなければならない、他人をかわいそうな人に仕立て上げ、更に自分しか"あなた"を助けられるのだと錯覚しメサイアコンプレックスになっていく。その光景を見ているかのようでした。
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