わたしの、領分をみてきた ⑵
2017年4月16日 読書・映画・芸術https://camp-fire.jp/projects/view/21723
舞台がはじまって、早々に心の理論で殴られたけれど、医療事務の川上が笑いながら「珍しくない?定型なアスぺちゃん」ていうところと、精神科医が障害を苦笑してしまうところ。ああ、これは実習先で見てきた光景だし、普段友達と話すときに障害の特性の不思議さから可笑しくなってしまうことがあるときだとおもった。誰も傷つけるわけで言っているわけではないけれど、日常的にクリニックや病院、就労移行の施設で見られる光景なのは、心理や福祉に関わらない人たちにとってどれだけの衝撃を与えたのだろうと恐ろしくて仕方がない。ただ、そういう時の自分を述べさせてもらえるのならば、そうした嗤った人と共に居たくないし、状況に村上は居たくない。そうした奴に殺意がわく。
「退院した彼女が生きているとは思わなかった」
この言葉は絶対に忘れないです。
でも、悪意があって援助職が障害がもたらす行動などを笑っているわけじゃないことは確かです。何かしらそう向かわせるものがあって、それがなんなのかわからないですけれど。しかし、ADHDの注意欠如と過集中はギャップがあって面白いと思います。普段は注意欠如で集中しなければならないことに取り組めないのに、一度スイッチが入るといくらでも作業に没頭して居られるのは興味深い。
そもそも人の認知は落差によって認識できるとされているので、ギャップがあるほど、差があるほど面白かったり怒りや悲しみや感動を覚えるようにできている。
例えば漫画やアニメでかわいい少女が包丁をもって人を刺し殺したり、マッチョな兄さんがスイーツが大好きで赤ちゃん言葉を使って居たら、それこそホラーで落差がある。
つまり、普段から落差を用いらないと、自分を保てない現実があるのではないかと推論を立てます。
C(高機能自閉症)くんが恋人の女性同僚が上司に傷つけられたときに攻撃行動したのは、納得するところ。自分が仲間だと思っている人が傷つけられることは自分が傷つけられること等しいために、攻撃行動よりは防衛行動をとるのは特性上理解できる。
これは、一般的な次元にすれば観察者羞恥と呼ばれるもので、見ている対象のものが恥ずかしそうにしているのを見て、自分が恥ずかしくなってみるのが耐えられなくなるという観念。ASDなどの特性はこれを皮膚感覚に押し広げて、他者の感覚を勝手に自分のものにしてしまい、仲間が傷つけられることを嫌う。
しかもCくんは知的はグレーゾーンなために騙されていることを理解してないから、いきにくいことも感じていない。その様は本当に社会と自分が噛み合ってないようで悲しい。『アルジャーノンに花束を』冒頭の主人公チャーリィのようだ。
舞台がはじまって、早々に心の理論で殴られたけれど、医療事務の川上が笑いながら「珍しくない?定型なアスぺちゃん」ていうところと、精神科医が障害を苦笑してしまうところ。ああ、これは実習先で見てきた光景だし、普段友達と話すときに障害の特性の不思議さから可笑しくなってしまうことがあるときだとおもった。誰も傷つけるわけで言っているわけではないけれど、日常的にクリニックや病院、就労移行の施設で見られる光景なのは、心理や福祉に関わらない人たちにとってどれだけの衝撃を与えたのだろうと恐ろしくて仕方がない。ただ、そういう時の自分を述べさせてもらえるのならば、そうした嗤った人と共に居たくないし、状況に村上は居たくない。そうした奴に殺意がわく。
「退院した彼女が生きているとは思わなかった」
この言葉は絶対に忘れないです。
でも、悪意があって援助職が障害がもたらす行動などを笑っているわけじゃないことは確かです。何かしらそう向かわせるものがあって、それがなんなのかわからないですけれど。しかし、ADHDの注意欠如と過集中はギャップがあって面白いと思います。普段は注意欠如で集中しなければならないことに取り組めないのに、一度スイッチが入るといくらでも作業に没頭して居られるのは興味深い。
そもそも人の認知は落差によって認識できるとされているので、ギャップがあるほど、差があるほど面白かったり怒りや悲しみや感動を覚えるようにできている。
例えば漫画やアニメでかわいい少女が包丁をもって人を刺し殺したり、マッチョな兄さんがスイーツが大好きで赤ちゃん言葉を使って居たら、それこそホラーで落差がある。
つまり、普段から落差を用いらないと、自分を保てない現実があるのではないかと推論を立てます。
C(高機能自閉症)くんが恋人の女性同僚が上司に傷つけられたときに攻撃行動したのは、納得するところ。自分が仲間だと思っている人が傷つけられることは自分が傷つけられること等しいために、攻撃行動よりは防衛行動をとるのは特性上理解できる。
これは、一般的な次元にすれば観察者羞恥と呼ばれるもので、見ている対象のものが恥ずかしそうにしているのを見て、自分が恥ずかしくなってみるのが耐えられなくなるという観念。ASDなどの特性はこれを皮膚感覚に押し広げて、他者の感覚を勝手に自分のものにしてしまい、仲間が傷つけられることを嫌う。
しかもCくんは知的はグレーゾーンなために騙されていることを理解してないから、いきにくいことも感じていない。その様は本当に社会と自分が噛み合ってないようで悲しい。『アルジャーノンに花束を』冒頭の主人公チャーリィのようだ。
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