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うわっ、遅刻した。
ここ最近、地元のつけ麺が美味しい駅からみなとみらい駅や立川駅までとか、講演会や結婚式で遠くに向かうことが多い。今回の下北沢も立川までとは言わないけれど、秋葉原や神保町あたりで満足している自分にとって新宿以降は遠くて仕方がない。

過労に次ぐ過労で中程度のうつを呈していて、左側頭部の締め付けの頭痛がある。こういうときって自意識が立ち上らないから感想は書けないものだけれど、初めて観劇した劇ではそうもいかなかった。

下北沢駅から劇場まで走って着いた。
着いてみたら、外は冷たい雨にもかかわらず満席で、一応の予約を取っていなかったら座れなかったかもしれない。しかも席は追加席で、どうやら通常なら通路となっているところに無理しておいたようだった。しかし、誰よりも間近で岡村いずみさんの演技を観れたのは幸運だと思った。

私が座った位置からでは舞台全体が見えない。それは劇場中央に柱が立っていて、役者の動きも出入りも一部しか見えなかった。すぐさま、これは"舞台そのもの利用している"ことがわかった。見えない役者はナレーションのように聞こえて、抽象概念のはるか(岡村いずみ)と舞台が隔絶されていることにすぐに気がついた。舞台の始まり方も、はるかから入ったのも意図があったはず。
観客席を可能な限り見渡してみれば、知らないけれど俳優やモデルに福祉に携わっていそうな方々が散見された。舞台が進む中、多分、福祉家のかたと何かを考えるポーズが似通っていたので、きっと福祉家なんだろうと、そして観客のそれぞれはそれぞれの価値観を持って劇を見にきて、劇の感想を未消化のまま持ち帰って苦悶するに違いないと、わたしの中で断言した。

私は狭い空間にいるとき周囲を見渡す癖がある。劇を見ながら周囲を見渡してしまうのは、心理福祉に携わろうとするからなのか、わたし自身の特性なのか決められないけれど、確かにそうやって日々を過ごしている。集中してないのは誰か(想像上)にとってけっこう迷惑極まりないのかもしれない。

幕が上がり、一応の主人公である心理士の萩野が持っている本は『心の理論』
自分から他者への認識や他者の考え方を推し量れるかというもので、カタカナで言ってみるとセオリーオブマインドとちょっと、かっこカワイイ感じがして、個人的に好きです。というのはおいておこう!
さて、萩野が心の理論を持っていることで前もって、人々は分かり合えないけどわかりあうことをしないといけないことを示していると解釈した。小道具の心の理論でどれだけの人が見えないバットで頭を殴られたのだろうと、勝手に殴られた気になっている自分は思った。

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