まず、誤解なきいただきたいのは、同情を引こうとは思っていません。
ただ、書きたくなったから書いたのです。ネガティヴでもなくポジティブでもなく。

「決定権は僕にある」と題したのは、主体的に生きられていなかった当時の村上が、せめてこの卒業文集のなかでも、これからの人生で主体的に生きたいという気持ちの表れからです。

とても のワードが多いのは語彙力がないから。
定時制高校に通いながら定時制高校を嗤う者。

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ここじゃないどこかへずっと行きたかった。カザミドリを聴いていて思い出した。
ずっと忘れていた、忘れようとしていたことに。

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