「かわいい」という単語は日本語の歴史と幅の広さを表していると思う。
「かわいい」はアニメや漫画などを通して海外へ自然と輸出されていまや世界語となっている。
参照http://knowledge-plus.com/english/614/

かわいいは、元は「不憫だ」「気の毒だ」といった意味を表す語で、その意味を受け継いでいる言葉には「かわいそう」がある。
「かほはゆし(顔映ゆし)」も「顔を向けていられないほどである」といった意味で、そこから「気の毒で見ていられない」「不憫だ」といった意味が派生した。
「かわいい(かはゆし)」が「気の毒だ」から正反対の「愛らしい」の意味に転じたのは中世後半からで、その理由については明らかになっていないが、小さい物や弱いものに対して手を差し伸べたくなる感情と、気の毒で見ていられないという感情は近いものがあり、「気の毒だから助けてあげたい」→「愛らしい」というように意味が転じたものと思われる。

参照http://gogen-allguide.com/ka/kawaii.html

つまり簡単にかわいいという言葉は使えない。特に語源を知っている人に対して。
なお、力関係(立場)において上から下の者へ、男性から女性へ使われることが元々の使われ方だった。けれど、最近の若者にはその制約は存在しない。

かわいいの使い方は人によってまちまちではあるけれど、コミュニケーションの潤滑によく多用される。初対面同士の女性の場合、かわいいという言葉は武器であり生命線である。
「そのポーチかわいいね」(話を始めませんか?)
「髪かわいいね、どこで切ってるの?」(会話の幅を広げたい)
「これ、かわいいと思わない?」(同意してほしい)
「うん、それかわいい」(そうだね or そうかもね)

一方男性同士の会話は長続きしない。
かわいいという言葉は、本当に可愛らしいと思ったときに発せられる。コミュニケーションの潤滑にかわいいは使われない。使っている人がいるとすれば、使い慣れをしている人と言える。つまりそういうことだ。なお、長続きするのはだいたい共通の趣味か敵と下ネタである。共通の目的達成が男性にとって生存戦略として必要不可欠。(男は女の人に目的達成の戦略を求めてしまうからミスコミュニケートが生じる)

少し横道にそれてみよう。
かわいいの意味の幅は一般的な女性の方が広いうえに、言葉の意味自体も広い。対比して男性は狭くて深い。一つの単語に価値付けを差し込んでいる。ここを知らないと女性は地雷を踏むことになる。言語能力は脳の脳梁に関係していることが示唆されている。女性の方が面積が大きいのと言語野が左右に散っている。一方男性は言語野は片側にしかない。(最近の論文だと人によって言語野の場所が違うことが報告されているようですけど割愛します)
比喩表現として女性はマシンガン(弾は無限)、男性はリボルバー(弾は6発)

女性同士のいい間違えは頻繁に起こる。けど次の発言で修正すればいい了解があるのに対して、男性にその了解はない。男性は発言するときに、原稿をチェックするように発話するため、いい間違えは大変なことになる。(他人には見えないVRで読んでいるイメージです

あともう一つ。「かわいい」を生み出した日本の文化に直接的に褒める文化がない。
包んだり、隠したり、間接的な表現を好む文化感(日本語)がある。したがって、褒めるのと褒められるのになれていない。褒めてもらいたいと思っている人が実は褒め慣れていなくて、うまく褒める人を欲している現実がある。
例えば男性が女性を褒める場合、男性は何かしらの目的が存在するため、男性は単純に「かわいい」とおもっていってみても、受け手の女性は下心か本来の「かわいい」と受け取る構造になる。ゆえに、簡単に褒められる状況と褒める人が育ちにくい。

いいと思った事や、みたまんま褒められないとなると、ひねりを加えないといけないことになる。これは非常に難しい。何に努力をしているのか何に心を寄せているのか、見えない。褒められた人が褒められた事に価値を置いていないと、意味がない。

ただ、ジョハリの窓のように、周囲から褒められた人は、その人が周囲から指摘されている美点に気づいていないとき、両者とも理解しあえない。残業は本来しなくていいはずなのに、当然の事として捉えている人にとって「残業大変だったでしょう」は心が揺れない。

しかし、褒めるやり方としてちょっと強引なのが、「私メッセージ」をつかった褒め方だと思う。誰が何を言おうと「私はあなたのここが素敵だと思う」相手が欲しい承認(利他的な褒める)ではなくて、自分本位な褒め方で褒めることを続ける。だんだんと褒められた人は、そのことに関して関心を持つようになって、好意的であるならば、窓があることに気がつく。ただ、褒めることは興味を持ち続けていないと難しい行為(好意)だと思う。
親友よ、ありがとう。ごめんなさい。

まとめていくと、かわいいという言葉には、目には見えない攻防があると考えられる。
かわいいを分析していくと褒める文化がなくて、褒める人と褒められる人が育ちにくいことがわかる。言葉の使用に基づく、意味の幅と価値付けにより、「かわいい」は解釈しにくく、コンテキスト(文脈)に比重がかかる言葉と言える。

つまり修行しないとかわいいは使えない!!!



あとがっきー
勝ち負けじゃないけど、どうやってリボルバーでマシンガンが飛び交うなかに飛び込めるのか知りたい。下手に一つの単語に反応して価値を置きに行くと蜂の巣にされるのがオチ!この前、「あっ(察し」になったから、あちゃーと思いましたね滝汗

どうやら女性の発話には一単語3つ程の意味があるらしい。意味センサーも複数ある。
男性は一単語に複数の価値を入れるらしい。意味センサーは一つ。
女性の発話は3本の矢が放たれる。男性はセンサーが一つしかないから2本ほどキャッチできない。体に刺さる。
なので、意味の幅を質問できる男性との会話はテンポ良くならない。質問しない人はわからないから質問できない場合がある。男性の発話は箱の中に全部入れてあるから、開ければわかる。開けて蛇が飛び出してきても、驚かずにもいであげましょう。(怖ろしい

男性の会話の仕方を知っている女性は、意味の幅を抑えて話をしていることがわかる。
所感として30歳を過ぎたあたりからと思う。
女性の話をいくらでも聴ける人は、意味を捉えられないところを知っていて、価値付けする考え方を抑える。言葉を撫でるかのように、感情の起伏に敏感に反応して、まるで読書をするかのよう。

ーー
どこか女性は傷つきによって、男性は理解することによって強くなっていくような気がする。

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