愛の意味。この章を読むために図書館で本を借りました。

フランクルかっこいい。読むたびに惚れ直して愛する。
惚れるとは身体的・心理的な価値や「衣服」備わっていることに触発されたことを指していて、
愛する人間とは身体的・心理的な層よりも深く、そのものの"存在"より"本質"をその人間が本来「ある」ところのものを愛する。

下位               上位
身体的<心理的<愛している

愛していますという言葉は、その人が持っているとか持っていないとか些細なことを吹っ飛ばして、生まれてきてくれてありがとうと祝福する言葉なんだと思う。祝福には神も下人の立場もさらにして、感謝する態度がある。

フランクルは9ヶ月の新婚生活の末に妻ティリーを絶滅工場で亡くして、本人は当時妻に会えることと母親に生きて帰ることを、ここにいない彼女たちに誓った。そこに彼女たちの身体的な必要性はなかった。瞼を閉じれば、彼女たちに会えたから。ここにいないのにもかかわらず、語り合えた。本書をめくると、「ティリーに捧ぐ」とある。目に触れてから、愛の意味を読み始めて気がついた。フランクルは愛に生きた男なのだと。

最愛の家族をすべて絶滅工場で失い、再婚をして家族を死の間際まで笑わせ続けてたフランクルは、ティリーを決して忘れなかったのだろう。恋は盲目にするが、愛は目を一層強くする。フランクルは決して会うことができないティリーに、あい続けて愛し続けた。

フランクルかっこいい。

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恋愛のテクニックとかコミュニケーション能力とか、心理・精神医学を学習しているけれど正直わからない。ただ目の前に立ち現れる人物の本質は、真剣に聴こうとしている。もちろん聴いても分からない時だってさえある。けれど、その人物から立ち現れる本質(サルトル)を逃したりなんかしない。注意深く関心を持っていなければ、違いに気づくことなんかできないから。

「愛するとは関心を持って間接的に安心(愛)を表現する(与える)こと」

これを可能にするにはopen the eyesさせる行動が必要っと。

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