美術館に行ってきました⑵
2016年8月27日 散文チケット売り場で、僕は専門学校生として買った。一般人チケットを買っていた友達に、集合時間に遅れたお詫びとして、チケットの差額分でお茶を買おうかと尋ねようかと思ったけれど、尋ねずじまいで終わった。お茶を持参していたから。
ブルーカラーの仕事で、お詫びするときは決まって缶コーヒーやお茶だったりする。時間に遅れたり、軽い頼みごとのお礼として、ご苦労様としての意味がある。ずっとそうした環境にいるから、なにかミスするとお茶買わなきゃと思う。時間に遅れなければいい話なのだけれど、注意欠如ゆえかタイムスケジュールを読み間違える、段取りが下手。
そして美術館の会場に着いてからすぐに考えたことがある。
それは友達についていって、一緒に美術品を見て回るか、一人で黙々と見て回るかということ。一緒に見たいと思った。とても。
けど美術館によく来ているであろう友達と、初めて美術館に来た僕とでは、作品と作品の作られ方、解釈の幅が歴然的とおもった
解説してもらっても、気の抜けた相槌だと申し訳ないなと思って、一人で鑑賞することにした。会場には友達同士で感想を言い合う人達がいたけれど。
個人的な結果として正解だった。
大きな油絵の圧倒的存在感、絵の具の厚みや、印刷物では判別できない色の機微。美術品の中の太陽の位置と時間軸、女性の顔の彫刻やただの車輪。それらを美術館の照明によってまた一つ別の作品として蘇っているような錯覚。油絵を見ながらいつか目や耳にした美術品の感じ方、解釈の仕方。風景構成-バウムテストを記述を思い出して、前面の絵に対して過去はこっちで未来はこっち、対立軸はどこだったろうかと、そのとき持っている全ての知識-情報と解釈を持ち寄って、解釈を解釈して解釈した。
まるで「死に至る病」の冒頭のように。
さらに、美術品は美術品を見ている人も含めて美術品と言われることがある。
認知心理学のデザインなどで語られることは、例えばコップはコップだけど人に使われないとコップの飲み物を口元まで保持するという役割は与えられない。つまり、美術品は観測者がいて初めて成立する。つくづく、読んでいないけれどミードの自我理論がちらつく。この世に対象として存在Sein(する)は、観測者がいなければこの世にないことになる。
...ああそうか、(解釈)芸術家は見てもらうことを前提にした美術品を作ったとして、観測者がいないと美術品自体が無価値-無存在になることを知っている。
だから本を読んでいて孤独を感じるということは、この読んでいる世界が繋がりを持たないんじゃないかって連想されて孤独を感じるのか...。
有用性の射程に入るじゃないか。
ブルーカラーの仕事で、お詫びするときは決まって缶コーヒーやお茶だったりする。時間に遅れたり、軽い頼みごとのお礼として、ご苦労様としての意味がある。ずっとそうした環境にいるから、なにかミスするとお茶買わなきゃと思う。時間に遅れなければいい話なのだけれど、注意欠如ゆえかタイムスケジュールを読み間違える、段取りが下手。
そして美術館の会場に着いてからすぐに考えたことがある。
それは友達についていって、一緒に美術品を見て回るか、一人で黙々と見て回るかということ。一緒に見たいと思った。とても。
けど美術館によく来ているであろう友達と、初めて美術館に来た僕とでは、作品と作品の作られ方、解釈の幅が歴然的とおもった
解説してもらっても、気の抜けた相槌だと申し訳ないなと思って、一人で鑑賞することにした。会場には友達同士で感想を言い合う人達がいたけれど。
個人的な結果として正解だった。
大きな油絵の圧倒的存在感、絵の具の厚みや、印刷物では判別できない色の機微。美術品の中の太陽の位置と時間軸、女性の顔の彫刻やただの車輪。それらを美術館の照明によってまた一つ別の作品として蘇っているような錯覚。油絵を見ながらいつか目や耳にした美術品の感じ方、解釈の仕方。風景構成-バウムテストを記述を思い出して、前面の絵に対して過去はこっちで未来はこっち、対立軸はどこだったろうかと、そのとき持っている全ての知識-情報と解釈を持ち寄って、解釈を解釈して解釈した。
まるで「死に至る病」の冒頭のように。
さらに、美術品は美術品を見ている人も含めて美術品と言われることがある。
認知心理学のデザインなどで語られることは、例えばコップはコップだけど人に使われないとコップの飲み物を口元まで保持するという役割は与えられない。つまり、美術品は観測者がいて初めて成立する。つくづく、読んでいないけれどミードの自我理論がちらつく。この世に対象として存在Sein(する)は、観測者がいなければこの世にないことになる。
...ああそうか、(解釈)芸術家は見てもらうことを前提にした美術品を作ったとして、観測者がいないと美術品自体が無価値-無存在になることを知っている。
だから本を読んでいて孤独を感じるということは、この読んでいる世界が繋がりを持たないんじゃないかって連想されて孤独を感じるのか...。
有用性の射程に入るじゃないか。
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